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生殖補助医療や遺伝性疾患など、人間の尊厳にかかわる医療や医学研究に、
患者や市民が主体的に参画できる仕組みづくりに取り組む

生殖補助医療や遺伝性疾患など、人間の尊厳にかかわる医療や医学研究に、患者や市民が主体的に参画できる仕組みづくりに取り組む

東京大学医科学研究所 公共政策研究分野 教授
武藤 香織 さん

医療や科学のめまぐるしい進歩の中で、体外受精や遺伝子治療など、人間の尊厳に深くかかわる科学技術が登場し、生命倫理の問題が注目されています。武藤香織さんは、こうした生命科学や医学の研究の過程にかかわる政策や手続きに関心を寄せ、被験者、患者、障がい者などの当事者が主体的にそれらに参画するための仕組みの研究に力を注いでいます。患者団体とのかかわりも深い武藤さんに、取り組まれている研究や、患者団体に期待することをお聞きしました。

患者や障がい者が治療や医学研究に主体的に参画できる仕組みを研究されるようになった経緯を教えてください

大学3年生の時に私自身が誤診されたことから医療倫理に関心をもち、大学院に進み、家族社会学の立場から医療技術がもたらす功罪と研究倫理についての研究に取り組みました。

海外事情を調べる中で、日本では今もなお成立していない生殖補助医療の法律が欧米ではすでに1980年代にできていたこと、さらに欧米では遺伝学的検査やゲノム解析がすでに注目されていたのですが、日本では議論すらされていないことを知り、遺伝性疾患の遺伝学的検査について調べ始めました。中でも関心をもったのが根治療法のないハンチントン病の発症前遺伝学的検査です。病気になる前に遺伝学的検査を安易な気持ちで受けることも問題ですし、逆に本人の意思を無視して遺伝学的検査を受けるよう、他人が強要することも問題です。1994年にすでに発症前遺伝学的検査の国際指針ができ、専門家と患者団体がともに声明を出したにもかかわらず、声明に賛同する国の一覧に日本はなく、そもそも日本に患者団体すら存在しないことに衝撃を受け、日本の患者さんにも情報を提供したいとウェブサイトを開設しました。そこから発展してできたのが、現在、VHO-netにも参加する「日本ハンチントン病ネットワーク(JHDN)」です。

現在の研究室ではどのような研究に取り組まれているのですか

研究者と研究対象者の間を取りもち、双方からのフィードバックを得て、医療や医学教育に役立てる取り組みを行っています。

たとえば英国では、臨床試験のあり方やデザインを検討する段階から、患者や一般市民が意見やアドバイスを述べる患者・市民参画(patient and public involvement:PPI)が政策に導入され、患者が臨床試験のプロセスにかかわることが必須となっています。また、米国でも、研究対象となる患者や地域住民との協働を重視する考えが広まっています。一方、日本では議論も進んでいない状況でしたので、患者を研究開発のパートナーとする理念に基づき、臨床試験にかかわったことのある患者さんの声を集める取り組みを始めました。

また、現在、国を挙げて再生医療研究を推進していますが、2014年から再生医療の倫理的な課題を検討する研究プロジェクトの責任者となっています。iPS細胞を利用した治療の臨床研究は、極めて実験的な段階にあり、安全性や有効性の評価もその手法を含めて未知の部分が多いものです。しかし、iPS細胞を使った治療に対して、患者をはじめ社会からの期待が高く、「研究」と「治療」の目的の違いを混同する「治療との誤解」が社会全体で深刻化しかねません。そこで、日本で患者・市民参画を本格的に志向する契機にしたいと考え、研究計画の立案段階から研究者と眼科疾患の患者団体との対話を実現し、研究開発における倫理問題を話し合いました。患者が活躍できる場面は、倫理審査委員会にもあります。必ず一般の立場が参加しなければなりませんので、そうした場に参画できる人材の育成についても、NPO法人 ささえあい医療人権センターCOML(コムル)と共同で取り組んでいます。

なぜ日本では医療開発への患者参画が進んでこなかったのでしょうか

日本では、国の助成での医学研究が強力に進んできたので、患者の要望は医療費や福祉の問題に関するものが中心で、研究開発に対する強い欲求をもちにくい環境だったのだと思います。また、新薬の実現や薬の適用拡大までには多くの患者が被験者として臨床試験に協力してきたはずなのに、メディアがそうしたプロセスをあまり紹介してこなかったのも社会的な理解が進まなかった一因かもしれません。

これまでも、臨床試験を成功させるために、患者や患者団体が助言した例はあるはずですが、個人の経験や、特定の患者団体と顧問である研究者というような関係性の中に埋もれ、あまり記録されていないのではないかと思います。そうした取り組みの成功事例や失敗事例を共有できるように、記録に残す研究をしたいと考えています。

また、技術のめまぐるしい進歩に倫理的な議論が追いついていないことも課題です。ハンチントン病の発症前遺伝学的検査の場合は、遺伝子が見つかることを10年以上前に予見して、研究者と患者・家族が議論を始めていました。新しい技術が登場してからどのように活用し何を禁ずるかを議論していては、患者がすぐに恩恵を受けられないばかりか、思わぬ事故にもつながりかねません。そのため、基礎研究の段階から研究者が患者や市民と倫理的な議論を重ね、社会に受け入れられる技術を生み出す仕組みが必要です。たとえば、今のうちに考えておいた方が良いこととして、「ヒト受精卵へのゲノム編集」があります。この技術の実用化は、病気の原因となる遺伝子の編集を「治療」と考える未来社会を構想することを意味します。この技術では、遺伝子が組み替えられた痕跡は一切残らないまま子々孫々まで受け継がれますが、一部の遺伝子を編集することによってゲノム全体にどのような影響が出るかも未知数です。さらに遺伝子を編集される当事者は、まだ生まれていない子どもです。子どもにとって、自然状態のゲノムで生まれる方が良いか、それともゲノム編集治療を受けて生まれる方が良いか、子どもの権利を問い直す技術でもあります。患者団体のみなさんとも、この技術の受容について議論して、今後の研究実施体制に反映したいと考えています。

患者が参画する医療や 研究の実現のために 患者団体にはどのようなことを 期待されていますか

世界的には患者が望む研究開発体制づくりは基本原則になってきています。「患者の声を聞く」という言葉は広がっていますが、何をどうすれば達成できるのかという尺度は明確ではありません。今秋、産学官(民間企業・教育、研究機関・国、地方公共団体)や患者自身の考える患者中心の医療や研究についてのシンポジウム(第13回DIA日本年会)が開かれますので、それぞれが理解を深めるひとつのきっかけになるかと期待しています。

インターネットや英語を使いこなせる人が増えてきましたが、一部の「プロ患者」だけではうまくいきません。特技に応じた役割分担を決めて、個々に力をつけて国や研究者、医療者との議論に参加し、成功事例を積み重ねていくことが、患者中心の医療につながるのではないでしょうか。そのためには、患者団体のみなさんには、ほかの病気や次世代のことも考えられる広い視野をもってほしい。団体の中でお互いに支え合うピアサポート活動から、もう一歩先に進んだ活動にも取り組み、医療や研究に参画し、次世代に希望を残してほしいと思います。

医療技術は、患者の切実な願いや人の欲望を乗せて進んでいくものです。扱い方の正解はひとつではなく、未知のリスクもはらみます。だからこそ、その研究倫理を自由に語り、共有することが大切です。さまざまな立場の人がお互いに多様さを認め合い、より良い研究開発が実現するための議論の場をつくり、そのような場に参加できる人材を私たちも協力して育てていきたいと考えています。

武藤 香織さん プロフィール
1993年慶應義塾大学文学部卒。98年東大医学系研究科国際保健学専攻博士課程単位取得満期退学。2002年博士号(保健学)取得。医療科学研究所研究員、米国ブラウン大研究員、信州大講師、東大医科研准教授を経て、13年より現職。NP0法人東京難病団体連絡協議会理事、日本ハンチントン病ネットワーク理事。