第4回 セルフヘルプグループ再考
特定非営利活動法人ひょうごセルフヘルプ支援センター
代表 中田智恵海(佛教大学 教員)
SHG(Self‐Help Group)は援助形態として現実的に機能するのでしょうか
SHGではメンバー同士が交流して、日々の生活で出会う困難なこと、哀しいこと、嬉しいこと、他の人や身内にも言えないこと、言ってもなかなか自分の気持ちを分かってもらえないことなど、何でも安心して話せる場になる、そこでは援助を与える人が援助を最も受けるんだ、という援助者治療原則、そしてその援助とは体験的専門知識を有していればこそだと、これまで記してきました。確かにそのとおりです。
【世話人は疲れている】
しかし、一方で、SHGの世話人の疲労を訴える声もたくさん、聞きます。「同じような医療相談を何度も受けて疲れてしまう。電話は朝、晩、自宅にかかってくる、相談が長時間に及ぶことも多い、もう疲れた。自分も大変だった時期もあるから、相談してくる人も気持ちは充分、分かるけれど・・・」などなど。SHGの世話人たちは確かに疲れています。
「SHGでは病気のしんどさに寄り添い、病気を抱えて生きていくプロセスを共有してエンパワメントして元気に生きられるようになる」というこれまでの指摘とは逆行します。SHGでは実際はどうなのでしょう?この指摘を世話人に限定して再考してみましょう。
【世話人の後継者】
多くのSHGでは代表の後継者育成に難渋しています。代表を代わりたいと思っても代わってもらえない、電話相談・会報の発行・医療講演会の開催準備など、多くの仕事を殆ど、一人でやらなければいけなくなってしまって、辞めるに辞められなくているSHGの世話人も少なくありません。
昨年10月に開催されたワークショップでは北村聖先生から、「後継者を育ててほしい」という発言がありました。私はそのときお茶を濁して答えてしまいましたが、そのことがずっと気になっています。SHGが研究者の言うように機能しているなら、後継者が育つはずです。しかし、今、多くのSHGでは後継者は育っていません。疲れる世話人の役割を引き受けようとは誰も思わない。全米のセルフヘルプクリアリングハウスのリーフレットにも、「世話人になってご恩返しをしよう」と書かれていますから、この傾向は世界中で同じなのでしょう。
【SHGオリジナル】
元々、SHGは社会サービスの網の目から抜け落ちて、どこからも何の支援もなく、生きていくことがどうにもならなくなった生活困難を抱える人たちが、自分たちでなんとかしよう、一人ではできないけれどみんなと一緒ならできる、と自然発生的に集まったグループです。そして「病気になった自分はダメな自分なのではない、ありのままの自分でOKなんだ、自分らしく生きるのだ」と捉えなおして、さらには自分たちの療養生活の改善のために、医療制度の変更を求め、最善の治療法を広めるなど、社会に働きかけてきたのです。今、患者の声を医学教育に生かす、という活動が積極的に展開されていますが、これもその一つです。これらはSHGの成果です。
【SHGの形態の変化】
そこにはどんな専門職者も機関も何も支援を差し伸べなかった。そういう所からのスタートでした。だからこそ、メンバー同士の凝集性は強烈でした。しかし、今、患者会を支援するファイザー(株)があり、他の企業も積極的な支援を始めています。また、保健所が難病のSHG立ち上げ支援を行うようになりました。つまり、公私の機関がSHGを支援する時代になったのです。かつてはどこからも支援を得られなかった人々でしたが、今ではそうではありません。そうした中でかつてのSHGの機能を順々と述べていては現実を反映していることにはならないでしょう。
新たなSHGを語らなければいけない時期にあります。とはいえ、援助者治療原則と体験的専門知識という原則は原則として明らかに存在していますから、もう少し、SHGの良さや強みに言及していきたい、と思います。
筆者紹介
口唇口蓋形成不全の子どもの親の会の元代表、世話人を経て2000年より、佛教大学 教員、特定非営利活動法人 ひょうごセルフヘルプ支援センター代表
情報誌を発行したり、毎年セルフヘルプセミナーを開催して、さまざまなセルフヘルプグループを市民、行政職者、専門職者などに広報し、生活課題を抱えて孤立する人をセルフヘルプグループにつないだり、リーダー支援のための研修会を開催している。