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疾患の垣根を越えた「難病カフェ」開催をステップに
患者会設立を目指す難病こどもおとなのピアサポートfamilia

疾患の垣根を越えた「難病カフェ」開催をステップに
患者会設立を目指す難病こどもおとなのピアサポートfamilia

「難病カフェきらら」は、山口県山陽小野田市の瀬戸内に面した宿泊研修施設「きらら交流館」を拠点に、月1回のペースで開催されています。難病をもつ人とその家族が気軽に集える場として近年各地で開設されているのが〝難病カフェ〞です。疾患の種類や年齢などの垣根を越えて、情報交換と親睦を行っており、2019年5月のスタート以来、好評を博しています。難病カフェを主催する「難病こどもおとなのピアサポートfamilia」の代表・岩屋紀子さんに気軽に集える場をつくる重要性や、立ち上げたばかりの任意団体である〝難病こどもおとなのピアサポート〞についてお話を伺いました。

難病こどもおとなのピアサポートfamilia 代表
難病カフェきらら 主宰
先天性血栓性血小板減少性紫斑病の会(先天性TTPの会)事務局長
岩屋 紀子 さん

難病カフェきららの開催までの経緯を教えてください

二番目の子である息子が、日本全国で67名しか報告されていない先天性血栓性血小板減少性紫斑病の患者です。親として情報交換をしたくても、周囲に同じ病気の患者さんはいませんでした。患者会をつくりたいと思っても、私には全国の患者さんを束ねる能力もなく、つくりたくてもつくれない状況でした。さまざまな悩みを乗り越えながら、息子は成人しました。でも病気は違っても同じように悩んでいる親御さんは今もたくさんいる。患者会が難しいのなら、疾患の垣根を越えた「難病カフェ」でその気持ちをシェアして情報交換できれば、少しは前進できるのではないかと考えたのが出発点です。

まずはできることから始めて、その経験を実績にして患者会の設立につなげたいという思いもあります。難病カフェは、任意団体である「難病こどもおとなのピアサポートfamilia」が主催で、私が代表です。まだ始まったばかりなので会員はおらず、息子とその上の娘が積極的に手伝ってくれています。

難病カフェの参加は無料で、ファンコニー症候群、ファロー四徴症、クローン病、Ⅰ型糖尿病など、さまざまな疾患の老若男女が参加してくれています。現在は私の「手弁当」で運営しています。今後は助成を受けることや、法人化して資金調達することも視野に入れています。

難病カフェを通して参加者にどういったことをお伝えしたいと考えていますか

カフェに参加される方が求めているものは、まず自分の、あるいは自分の子どもの病気を知ってほしいということ。そして、医療や教育に関する情報交換です。保育園で断られ、次は小学校で受け入れてもらえません。いじめ問題にも直面します。

一人ひとり同じような困りごと、悩みごとを抱えていますが、過去には多くの人の努力によって乗り越えたケースもあります。次々と高いハードルが現れますが、疾患を越えて情報を共有することで解決策を考えることにも取り組んでいます。

幅広い年齢の方がいて、下の世代に自分の経験談を伝えるというのも大きな役割です。難病があっても大学に行ける、行ってもいいんだ、そういう仕事ができるんだ、働くことができるんだ―現実にそうしている人の話を聞くことが希望になります。「自分の将来像」として見ることが、とても大事なことだと考えています。どうすればそうなれるのかと質問するなど、自発的、能動的なアクションを促す意味も大きいです。

息子の場合も、本人が悩んだり苦しんだりしながら、やっと今、自分の進む道を選んでここまで来ました。それを「モデルケース」と言ってはおこがましいのですが、親の考え方により、難病の子どもも自立していけるとお伝えしたい。
今でこそ親子関係いいねと言われますが、ここまではいろいろありました。あったけれども「これが結果」なので、見て安心してほしいと考えています。

開催した反響はどうでしたか

親御さんの意識が変わっていくのを実感します。私もあちこちの勉強会へ行くのですが、どちらの団体も少子高齢化問題が切迫しています。若い世代、子ども世代が入ってこない。すると患者会の若手の方々は、人や情報とつながりにくくなるという課題に直面します。このままでは危ういという危機感が強いです。「難病カフェ」で、私のやっていることや他の患者さんから刺激を受けて、自分にもできるとアクションを起こした方がいます。その方は停滞気味だったある患者会の山口県支部でリーダーシップをとろうと立ち上がりました。やはりこの「難病カフェ」が活性化につながる。ひとつの役目が果たせてよかったなと思いました。

現在の難病カフェのスタイルはどのようにつくられてきたのですか

息子は0歳で病気がわかり、少しずつ成長してきました。自分の言葉をもち、「お母さん、違うよ」と言える段階がきて、そのときに自分は病気を疑似体験してきたに過ぎなかったんだと気づきました。0歳のときから、私はあたかも自分が難病を体験したかのような気になっていた。患者でもないのに、息子の語り部になっていた。それに気づいたあとは、何でも息子に相談するようになりました。「お母さんこうしたら?」と、意外とシンプルな答えが返ってきました。親が気づかぬうちに、いつの間にか子どもの世界でいろいろな考え方を受け入れて成長していました。

「それって俺に相談することではなくて、お母さんの問題だよね」。成人式の日、息子が言ったその言葉に、すっと雲が晴れたような気持ちになりました。いつの間にか人格ができていた。役目が終わったんだなという感じがありました。当初、患者会をつくろうという私の取り組みについて息子はあまり関心がないようでした。「お母さんはこういうことに悩んでいる」「お母さんはこういう患者会をつくりたい」「どうしたらいい?」と息子に相談するうちに難病カフェがひとつの形になっていき、息子自身も前向きになって協力してくれるようになりました。

SNSを使って発信してくれるようになり、それによって私の知らない、息子の世代の難病にかかわる人たちとつながることができました。そこから発信する今の形ができ上ったのです。

今後の展望についてお聞かせください

難病カフェでのピアサポートは、私が中心になって進めています。でも、息子は自分も同じ気持ちを味わいながら育ってきているから、病気の子どもに自然に寄り添うことができ、本当の気持ちを引き出すことができます。とても説得力があります。

逆に難病の子どもをもつ親の気持ちは、同じ立場の私だからわかる部分もあり、寄り添えることもあります。世代を超えて、疾患を越えて、いろんな人が集まることで「寄り添える人」を増やしていくことが大切なのだと思います。

難病カフェは、今ここにいる子どもたちが、先々次に生まれてくる難病や障がいのある子どもたちの「お手本」になれる場にしていきたい。ここに来ればそれだけで親御さんの元気が出て、家に帰って笑顔になれる。ベースになる家庭環境づくりに役立つ場にしたいと思います。

難病カフェは、私にとってはステップでもあります。地域に根ざした交流には価値があります。でもそれで終わってしまっては、閉じた世界になってしまいます。

他の地域のリーダーとも交流し、求心力、人間力を向上させて、当初からの目的であるしっかりした患者会、「先天性血栓性血小板減少性紫斑病 患者家族の会」を形にするのが目指しているところです。

先天性血栓性血小板減少性
紫斑病の会(先天性TTPの会)

2020年6月1日に「先天性血栓性血小板減少性紫斑病の会」(先天性TTPの会)が設立しました。
事務局長として、岩屋さんは会を支えています。