HOW TO/第4回
会の運営に役立つハウツー集 難病就労支援 自分たちで仕事を創る、自立系就労支援を目指して
NPO法人アンビシャス 沖縄県難病支援センター 事務局長 照喜名 通
照喜名通さんは自身のクローン病発症を機に、膠原病患者会と協力し沖縄県難病支援センターを設立。2002年2月には「NPO法人アンビシャス」を立ち上げ事務局長に就任しました。積極的な就労支援を行い、首里城のお土産ショップ運営とその商品開発、人脈を生かした支援など、アイデア満載の照喜名さんに難病就労支援の手法を伺いました。
健常者と障がい者のはざまでーアンビシャス設立の経緯。
消化器に発症する原因不明の難病、クローン病にかかったのが97年。沖縄県の患者会『クローン友の会』に入会し活動していましたが、そのうち自分の病気のことで仕事ができたらいいなと思い脱サラ。無謀でした(笑)。最初は福祉作業所のようなものをつくる目的で行政に相談に行きましたが作業所は障がい者向け。障がい者でも健常者でもない、そのはざまにいる難病者に就労の支援制度がなかったのです。そんなとき、現アンビシャスの理事長、迫幸治さんと出会いました。社会貢献事業も行っている企業の社長で資金援助を申し出てくれ、沖縄県難病支援センターを立ち上げることが出来ました。同時に那覇市のNPO活動支援センターなどで勉強をし、センター発足の翌年にNPO法人アンビシャスが誕生しました。
ショップ経営、商品企画… 自主事業から仕事が派生。
難病患者への就労支援では現在、約20名がメンバー登録をしています。得意分野や病状を明記してもらい、会社や団体から依頼があれば紹介しています。封入作業や電話調査、駐車場整理、受付など大半がスポットの仕事です。首里城でのお土産ショップ『笑店』の経営は自主事業の柱。店舗の一般公募があり運良く抽選に当たったのです。そこでメンバー6名がワークシェアリングで働いています。でも急な入院など難病者にとってサービス業は難しい。だから在宅でできる製造業を強化していこうとオリジナル商品を企画。沖縄の赤瓦でつくった携帯ストラップ、エプロンの縫製、Tシャツのタグ付けなど、いろんな仕事が派生しています。首里城ショップはアンビシャス最大の雇用場所です。うちは自分たちで仕事を創っていく自立系を目指しています。もちろんハローワークとの連携も大切。沖縄県では03年から障がい者のトライアル雇用が難病者にも適用され、ここのメンバーも企業に採用されています。
理事は幅広く募り、視野を広げる。
アンビシャスは現在、正会員17名(内、理事9名)、賛助会員約120名、法人会員38団体で運営しています。正会員は総会参加への義務があり議決権をもつ重要な立場にあるので、なるべく正会員を少なくし理事主導型にしています。理事は患者当事者4名、企業から4名、他のNPO法人から1名の構成です。私の戦略ですが理事には立場の違う人間がいる方が視野が拡がり偏らないと思います。就労支援に対しても、いろんな分野で仕事をしてきた経験や知識からさまざまなアドバイスがもらえます。最近も、あるスペースを使ってカフェをしないかという話がありました。私はなんでもやってみるタイプなので理事会にかけたのですが見事、却下(笑)。飲食業は競争が激しく、保健所の問題や残った食品の処理などリスクが高すぎるというのです。なるほどと思いました。私自身、異業種交流会などに積極的に参加してきましたが、そこで培った人脈が今の活動に大いに役立っていると思います。
「テルキナ、あなたはやりすぎ。仕事をもっと小さくしなさい」
学会の書籍売場は指定の本屋があるので、そこに頼み、取次(本の卸)に注文して置いてもらう。常に持ち歩き講演時等に自分で売る。出版はゴールではなく、スタートなのです。
05年度から沖縄県の難病者支援センターとしての委託事業がスタートします。でも行政に対しても下請けではなく協働というスタンスを崩さず、これまでの自主事業との2枚看板でやっていく方針です。アンビシャスをやってきて一番、難しいなと思うことは仕事の分担です。運営や就労支援の企画や采配にしてもどうしても私がやりすぎてしまう。自分が手を抜くとダメになるという意識が働くんですね。オーストラリアを視察したとき、環境NPOの先駆者、ジル・ジョーダンさんに言われました。「テルキナ、あなたはやりすぎよ。仕事をもっと小さくしなさい。母親が全部、やってしまっては子どもは育たない」と。できるだけ仕事を分担し人材を育成していくことを学びました。そうしないと就労支援も広がらないし、組織も強く大きくなっていかないと実感しています。