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患者・家族の「交流会」が会員増加の原動力に

HOW TO/第19回
患者・家族の「交流会」が会員増加の原動力に

全国パーキンソン病友の会 沖縄県支部 事務局長 又吉朝子さん
2007年に48名だった「全国パーキンソン病友の会」沖縄県支部の会員数が、2008年には83名、2009年には126名に達しています。目覚ましい会員増加の背景やノウハウについて、事務局長の又吉朝子さんにお話をうかがいました。

会員が増えていくきっかけについて教えてください

私と会とのかかわりは夫がパーキンソン病と診断された2005年からです。すぐに友の会の存在を知りましたが、当時、家族は会員にはなれませんでした。その後方針が変わり、2007年に会員となり、事務局長を務めることになりました。その時に那覇市の南部保健所で、患者・家族のおしゃべり会「ゆんたく会」を企画し、地元の新聞に告知しました。同時にセミプロのグループに歌謡ショーも開いてもらい、集まった方々には「歌に癒された」と大好評でした。そのグループが「私たちで力になれるなら」と、パーキンソン病患者支援のための「夕凪の会」を結成してくれました。この「ゆんたく会」の集まりが大きな転機となりました。

患者団体の存在をどのようにアピールしたのですか?

2008年、「夕凪の会」が第1回パーキンソン病支援チャリティーとしてコンサートを主催してくれることになりました。250名分のチケットを友の会が引き受け、会員や会員外の患者さんに来場を呼びかけました。広告を取る仕事など慣れない仕事でとてもたいへんでしたが、何とか開催することができました。パーキンソン病歴の長いある女性は、「夜だから行けない」と断り続けていたのですが、あまりにしつこく私が誘うので「又吉さんには負けたわ」と来場してくれました。そして翌日には「まさかこんなに夜遅くまで遊べるなんて。とても楽しかった!」と元気に電話をくれ、翌年のコンサートにはたくさんの患者さんを連れて来てくれました。その方々が友の会の存在を知り、入会者が増えていきました。コンサートの寄付金によってバスツアーなどの企画ができるようになり、これも会員増の要因のひとつになったと思います。

会員が増えるにつれ、活動に変化はありましたか?

「ゆんたく会」は今、「交流会」と名前を変えて、月に1回〜2回、開催しています。毎回、平均40名くらいの参加者がいます。一番の大きな変化は家族の方々も参加されるようになったことです。家族同士の交流もでき、会の雰囲気もとても明るくなりました。交流会は毎回、テーマもグラウンドルールも決めず、次々にマイクを回して自由に話してもらいます。詩吟、唱歌を歌う、お手玉などの芸も飛び出します。会員一人ひとりが相手を尊重していて、時間を独占するなどということがないんです。パーキンソン病の症状で言葉が出にくくなっている人も、同病者だから理解し合え、そして励みにもなります。一体感があって楽しい。それが口コミで伝わり、また仲間を誘ってやって来てくれます。

会員が増えたことで、どんなメリットがありましたか?

会報誌は当初、私と夫の2人で発行していましたが、会員から手伝いたいという声が出て、今は製本作業も大勢で和気あいあいとやっています。パーキンソン病全国大会などに私が参加したいと相談すると、交通費のカンパを募ってくれたり。いろいろな人と交流し情報を収集して、会員に伝えてほしい、会に反映してほしいと、とても暖かいメッセージをもらっています。会員の増加、会の充実はやはり人と人とのつながりに尽きると実感しています。

人を“ハグする”力に感動しています

「もやもや病の患者と家族の会」 沖縄ブロック 代表 田島 良子 さん

私は「全国パーキンソン病友の会」沖縄県支部の交流会やコンサートのお手伝いに、ボランティアで関わってきました。交流会では、発表する人をみんなが見守っているという雰囲気があります。そして話し終わると又吉さんがすぐに駆け寄って「よく頑張ったね!」と抱きしめる、ハグするんです。全員が見ている前で。そういうことが自然にできる人なんです。人って受け入れてもらえるとうれしいですよね、安心感と期待感をもらえて。違う会の立場で見ている私でも感動します。そういう人の心の動きが会員増加につながっていったと思います。