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熊本地震からの教訓
支援活動から見えてきた災害対策の重要性と課題

熊本地震からの教訓
支援活動から見えてきた災害対策の重要性と課題

熊本県熊本地方を震源とする最大震度7の地震が2016年4月14日(前震)、16日(本震)に発生。益城町、西原村、南阿蘇村、熊本市などを中心に大きな被害をもたらしました。8月17日時点で、死者95人(関連死45人含む)、全半壊家屋約3万6000件、ピーク時には18万3000人を超える人々が避難所での生活を余儀なくされました。交通網をはじめとするライフラインが切断され、長期間の余震が続く中、さらに豪雨によって地割れの部分が崩れ、家が倒壊するなどの二次災害も発生しました。
熊本難病・疾病団体協議会(以下、くまもと難病協)代表幹事、中山泰男さんの勤務する社会福祉法人 リデルライトホームは県内の社会福祉法人施設への支援物資の物流拠点となり、高齢者、障がい者、難病患者、そして地域住民の支援に取り組んできました。地震から3ヶ月経った7月に被災者の実情、支援活動の内容や課題について中山さんにお話を伺いました。

熊本難病・疾病団体協議会 代表幹事
中山 泰男 さん

まず、地震発生当初の状況や支援活動の内容について教えてください

今回の熊本地震では、阿蘇山のある熊本県・長陽の観測点では南西方向に103.6㎝、また被害の大きかった益城町や熊本市街地のある熊本県・熊本の観測点では逆に北東に79.5㎝活断層のずれが生じました。

そのことによって広域で地盤が30㎝近く沈み込み、道路が寸断されたり多くの建物が倒壊したりしました。熊本県や市が一般避難所に指定していた小・中学校の多くも倒壊して使えず、使用できても余震への恐怖から駐車場での車中泊が急増しました。高速道路や幹線道路の通行止めで物資が届かず、山間部では陸の孤島になったところもあります。

国や自治体による支援物資供給(=「公助」)は一般避難所しか対象になりません。私たちがまず行ったのは「共助」です。本震から2日後の4月18日、全国社会福祉協議会と全国社会福祉法人経営者協議会が東京で会議を開き、支援物資供給ルートを決定。その2日後に熊本県の社会福祉法人経営者協議会代表者会議を開き、翌21日から災害支援物資供給フローに沿った活動を開始しました。

私が施設長を務めるリデルライトホームを物流拠点に、県内を7つの区域に分け、それぞれに拠点法人を決定。そこから物流拠点まで物資を取りに来てもらい、各地域の施設に分配していくというものです。日が経つにつれ昼夜を問わずトラックが到着し、水や紙おむつなどの物資の荷下ろし、分配、運搬に約20日間、忙殺されました。くまもと難病協に加盟するヘルスケア関連団体の人たちも応援に駆けつけてくれ、これはとてもうれしかったですね。

障がい者や高齢者など、配慮や支援の必要な人を受け入れる福祉避難所は今回、どのように機能したのでしょうか?

福祉避難所は特別な配慮や専門性の高いサービスを必要とし、一般避難所での生活が困難な要援護者を対象とした施設です。行政と福祉施設などがあらかじめ協定を結び、災害時に立ち上げるもので、難病患者、障がい者、要介護高齢者、妊婦など老若男女、障がいの区別なく受け入れます。ただし入所できるのは要援護者登録をしている人、一般避難所で保健師や市の職員が要援護と判断・決定した人です。2012年12月に熊本市と20人を受け入れる協定を締結していましたが、実際に地震が発生すると想定どおりに運営ができませんでした。その理由には、一次避難所が満杯となって、あふれた市民が頼りにしたのが老人ホームなどの福祉施設だったということがあります。

どの福祉避難所にも地震直後から地域住民がどんどん避難してきました。混乱の中、一般市民には福祉避難所の役割を理解していない人も多く、そして施設側もこれを断れない状況にありました。毎日50人、100人と支援を求めて来る。より多くの人を支えるために、本当に受け入れるべき人を受け入れられない、十分な支援が行き届かない。使命を果たせない葛藤はすべての福祉避難所であったと思います。これは熊本県に限らずどこででも起こりうることです。今後の仕組みづくりには大きな課題となりました。

非常に混乱し忙しい中で、くまもと難病協としては、どのような活動をされていましたか?

震災直後はそこまで手が回らないのが実状でした。加盟団体のリーダーに電話がつながるようになったのは発生から10日後ぐらい。リーダーもやっと本人や家族以外のことに目が向けられるようになり、それでも連絡がつかない、どの避難所にいるか確認できていないという回答が多かったですね。話を聞いていると、たとえば筋萎縮性側索硬化症(ALS)や筋ジストロフィーなどの重症難病患者やその家族は、自家発電装置など日頃から災害時に身を守る「自助」を構築しており、ほとんど深刻な問題には至りませんでした。ところが水も電気もある平時では、自分でトイレに行ける、食事が摂れる、また家の中で家族の支えがあれば生活できるという人。そういう方々が今回の災害で困難な状況に陥った例が少なくありませんでした。

各自治体には要援護者登録制度が設けられています。しかし軽度な難病患者、障がい者の多くは残念ながら登録していません。まさか自分が被災するとは思っておらず、避難所で不自由で不安な思いをし、我慢をした人も多かったでしょう。けれど被災してから「私にはこんな障がいがある」「精神的に非常に苦痛だ」と保健師などに訴えても、「みな大変なのだから相応に我慢しましょう」と言われてしまいます。ある日突然、自分の疾患や症状を証明できない状況に置かれてしまう。一方で登録をしていた人たちは、保健師やソーシャルワーカー、臨床心理士などが随時訪門し、相談にのってもらえます。

差別や偏見を恐れて疾患を隠している人や家族の気持ちもわかりますが、被災して家に住めない状態になった場合、登録をしているか否かの差はかなり大きい。地域の中で、守秘義務を遂行できる公的機関との接点はもっていた方が良いと実感しました。

今回の震災を通じて、反省点や今後、取り組むべき課題について教えてください

まずは自助の構築ですね。避難バッグを用意している人は多いと思います。でも3日分くらいでしょう。今回のように1週間も10日間も避難所生活をするとはだれも想像していないのです。家にいられる場合のために、自分の疾患や症状に応じ必要な物を10日分は確保しておくことです。そして家を出なければならない時のためには、やはり要援護者登録が強い支えになります。

情報網の整備も重要です。時代に適った、インターネット環境での情報網を立ち上げておく必要があると思います。患者団体としては、本部機能の設置が重要だと実感しました。全国組織であっても、小さな団体であっても、災害時はとにかくここに連絡するという災害連絡窓口を決めておくことが大切です。同じ地域や同じ県ではみなが被災しているかもしれないので、そこも工夫が必要です。

地震から3ヶ月が過ぎてもまだ避難所生活者がいるのが現状ですが、本当に多くの教訓を得たと思います。全国から駆けつけてくれるさまざまなプロフェッショナル、ボランティア支援のありがたさ、1〜3日で変わっていく支援物資のニーズ、生活ゴミや震災ゴミの深刻さ、人々の身勝手さ、熱意をもった頑張り……。これから復興に向けての取り組みが始まります。