改正がん対策基本法成立を受けてどう変わる?何が期待できる?
がん患者の就労とその支援
2016年12月に、がん患者が安心して暮らすことのできる社会への環境整備を盛り込んだ「改正がん対策基本法」(以下、改正法)が成立し、その推進が期待されています。そこで、がん患者の就労支援に取り組む団体を立ち上げ、患者代表としてがん対策推進協議会等にも参加するなど積極的に活動する一般社団法人 CSRプロジェクト 代表理事の桜井なおみさんに、今回の改正の背景や、がん患者の就労という視点からみた意義や展望をお聞きしました。
一般社団法人 CSRプロジェクト 代表理事
桜井 なおみ さん
まず、がん患者の就労支援に取り組むことになったきっかけを教えてください
私は、設計デザイナーとして働いていた37歳の時に乳がんが見つかりました。仕事と治療の両立や、再発の不安などを語り合える同年代の仲間に出会いたいという思いで「NPO法人HOPEプロジェクト」を立ち上げ、また東京大学医療政策人材養成講座にも参加し、「がん患者の就労と雇用に関する研究」に取り組みました。日本の就労世代のがん患者の就労・雇用の実態を明らかにする調査・研究は少なく、この重要な問題とその解決に組織的に取り組む必要性を感じ、「CSR(Cancer Survivors Recruiting)プロジェクト」として2011年に一般社団法人化しました。 私自身、がんによって仕事を続けることを諦めた時は、それまでの人生を否定された思いで、がん告知の時よりもつらかったのです。その経験から、就労を含め、がんになった後の人生をどう生きていくかというサバイバーシップがとても重要だと考えるようになりました。サバイバーとは「がんと診断された日から生を全うするまで生きる人々と、支えるすべての人々」を意味する概念です。
改正がん対策基本法についてその背景や概略を教えてください
そもそも日本には2006年にがん対策基本法(以下、基本法)ができるまで、“がん対策の法的な位置づけ”がありませんでした。基本法により、医療の均てん化(どこでも標準的な専門医療が受けられるように医療技術などの格差の是正を図ること)、検診や研究の推進、そして患者が政策づくりに参加して議論するがん対策推進協議会の設置、5年ごとの基本計画策定などが定められました。
その後10年を経て、医療は大きく進展し、また医療を取り巻く環境も変わり、基本法に書いてある内容と現状社会の間にズレが生じるようになってきました。 さらに、基本法に言葉や定義が記載されていないことで、その対策や研究が広がらない分野がありました。こうした点を修正すると同時に、これからのがん医療、そしてがんを取り巻く社会環境のあり方を提示し、社会全体で考えようというのが、今回の改正法です。その策定に向けては、2015年6月から超党派の国会議員の集まりである「国会がん患者と家族の会」と私たち患者団体などがともに検討を進めてきました。
改正法の主なポイントとしては、「小児がんの子どもが学業を続けるための環境整備」「検診でがんの疑いのある人の受診促進」「診断時から緩和ケア、良質なリハビリを提供」「希少がん、難治性がんの研究促進」「事業主の責務としてがん患者の雇用継続への配慮を明記」などが挙げられます。
就労という視点からは具体的にどのような点が改正されたのですか
就労にかかわる改正箇所は、第二条(基本理念)、第八条、第二十条、第二十三条と、医療機関ができる就労支援としての第十九条です。 具体的には、まず「社会的環境整備」という概念が基本理念に盛り込まれたことにより、診断後に遭遇する“生きづらさ”の解消が進むことが期待されます。就労だけではなく、容姿の変化や結婚、出産、遺伝などのがん患者が遭遇するさまざまな“生きづらさ”に対して、関連する法制度や事業、病院内外での取り組みが推進されていくことになります。
また「事業主の責務」が明確になり、努力義務ではありますが、がん患者の就労に配慮しなければならないことになりました。法の中に位置づけられたことにより、雇用主は患者が働き続けるために、働く時間や働き方の柔軟性・多様性などを考慮しなければならないことになったのです。
「就労に関する啓発、社会教育」については、私たちは“大人のがん教育”も重要と考えています。がんに対する誤った理解、情報不足から起こる偏見をなくすためにも、また自分ががんになった時のためにも予備知識をもつことは大切です。特に偏見の多くは知識不足から始まりますから、基本理念にもある社会的環境整備を進めるうえでも重要な関連事項になります。
第十九条に関して、後遺症や薬物療法による副作用も就労に大きな影響を及ぼしますから、医療機関には支持療法(がんに伴う症状や治療の副作用への予防策や、症状を緩和させる治療)の徹底や患者の社会背景に応じた説明や治療計画をお願いしたいと考えています。
活動されるうえで大切にされていることや今後の展望を教えてください
がんによって今も一日に1000人以上の患者が亡くなっています。今回の策定過程においても、私たちは多くの仲間を失ってきました。そうした今は亡き人の思いがたくさん詰まったのが、この改正法です。その背景や歴史を多くの人に知ってもらい、私たちの思いをつないでいきたい、がんになっても安心して暮らせる社会を構築したいという強い思いが私たちの原動力です。
就労支援の取り組みを始めた頃、医療者の多くは「就労はがんを治してから」という消極的な反応でした。力になってくれたのは難病や障がいの団体の仲間たちで、がん患者は人数が多く、その要望は“ビックボイス”となるから「がん患者の取り組みから、病気や障がいがあっても働ける道を切り拓いてほしい」と後押しをしてくれました。だれもが働きやすい環境づくりは、病気や障がいのある人だけではなく、子育てや介護に携わる人にも必要ですから、改正法の方向性はすべての人にもかかわりがあることを知っていただきたいと思います。
また、私たちは提言活動などの際、調査結果などの数字やエビデンスを示して理解を求めることを心がけ、『がん患者白書』も毎年発行してきました。国会の議論の中でも、私たちの調査結果を参考に、傷病手当金制度の改正の検討が始まりました。これは病気休職中に健康保険から支給される傷病手当金制度をがん患者も使いやすいように連続型から分割・累積型へ改正し、より柔軟な療養環境を実現するというものです。法の改正には時間がかかりますが、これからも地道に進めていきたいと思っています。
この5年間ほどで、がん患者の就労について社会の理解が進んできたことは実感しています。しかし、働き続けるためには、何よりも本人の意志や、患者として前向きに生きる力がとても重要です。患者自身がどう生きるかを選択できるように、エンパワメントして“患者力”をつけることが、行政や医療者にはできない、当事者である私たちにこそできることだと考えています。そのために、あくまで当事者の視点にこだわりながら、就労支援をはじめとした活動の質の向上を目指したいと思っています。