患者さんの言葉に耳を傾け、その「物語」を読み解く社会学の立場から、難病のセルフヘルプグループを研究
富山大学人文学部 准教授
伊藤 智樹 さん
ヘルスケア関連団体ネットワーキングの会(VHO-net)の北陸学習会に参加されている伊藤智樹さんは、社会学の研究者で、難病などのセルフヘルプグループの参加者たちが、患者団体の活動を通じて編み出す「物語」を解釈する研究を手がけています。セルフヘルプグループの活動には社会的な意義があると語る伊藤さんに、患者団体とのかかわりや物語の研究についてお話をうかがいました。
難病の患者団体の活動などに積極的に参加されていますが、 どのような研究をされているのですか
私の専攻は医療社会学で、人間が病をどう意味づけ、解釈し、どんな言葉で表しているのかを研究対象とする「病の語り(illness narrative)」という領域を研究しています。
病の語りとして、理想的なものは「回復の物語(the restitution narrative)」ですが、難病など治療法のない病気には当てはまりません。そこで、回復の物語以外の物語の語り手となることで新しい生き方を実現している患者さんの言葉を分析し、それはどのような物語なのか、あるいは、その物語を媒介として、病む人とそうでない人がよりよい関係を持ち続ける社会がどうしたら実現できるかを研究しています。
社会学と難病とのつながりは少し意外な印象がありますが、 どのようなきっかけで、難病を研究対象にされたのですか
私は、そもそもアルコホリズムのセルフヘルプグループ(アルコール依存症の自助グループ)で参加者たちが自分の経験を語り合うことに興味を持ったことから「物語」の研究を手がけ、その後、吃音や死別体験などのグループを研究してきました。
難病とのかかわりは、セルフヘルプグループの研究者ということで「パーキンソン病友の会」の中川みさこさんが訪ねてきてくれ、交流会に参加したのがきっかけです。その後、中川さんの紹介で、ALS協会富山県支部やVHO-netの北陸学習会に参加し、そこからネットワークが広がり、さまざまな団体の活動に参加するようになりました。
私は、それまで当然だと考えていた世界が崩れていく経験に、人間がどう反応していくのかというところに強く惹きつけられます。難病にかかわることになったきっかけは偶然ですが、今は、自分のテーマとして必然でもあったと考えています。
難病における病の語り研究とは、 具体的にどのような研究なのでしょうか
たとえば、パーキンソン病の患者さんがリハビリテーションを一生懸命行うことは、病気を完治させるとまではいかなくても、「ここの動きがちょっとよくなった」というささやかな改善劇を自らつくり出すことにつながります。このような「リハビリの物語」を生きる患者さんは前向きで、症状が進んでも冷静に判断し、対応できる場合が少なくありません。
難病の患者団体は、知識や情報を交換する場であると同時に、参加者が現状に至るまでの過程をたどり、イメージを前向きなものに変えていく自己物語を形成して語り合う場です。元に戻ることはできなくても、その人の「生」には価値があることを感じ取れる場として患者団体の可能性はとても大きく、社会の大切な資源といえます。そこで、患者さん一人ひとりの語りの中から物語を引き出し、解釈し、患者団体の活動には社会的に重要なものが含まれていることを筋道立てて伝えていくのが、私の役割だと考えています。
社会学の立場から、難病をめぐる医療の現状については、 どのような考えを持たれていますか
難病の患者団体には患者や家族、医療者、遺族などさまざまな立場の人が参加しており、医師や専門職の人たちとの交流が広がったことが、今までの研究と大きく異なります。言い換えれば、回復が難しい病気だからこそ、狭い範囲での医療ではなく、私のような社会学の研究者を含めて、さまざまな立場の人が知恵を出し合い、解決することが求められているのだと思います。
現在、社会では、医師の専門性も従来の医師のイメージではとらえきれなくなっています。難病を持っているような患者さんと接する場合、医療技術者としての役割だけでは対応できないと葛藤を感じる医師が増えてきているのではないか、そして、患者さんを中心として医療の風景が動いてきているのではないかと感じています。そこで、医療や福祉だけではカバーできない、人間の生の営みを直接とらえていく学問が必要になるのではないでしょうか。また、最近は、医療や医学教育の中で患者の声を聞くことが重視されていますが、それには、患者さん自身の病気に対する意味づけを解釈することが必要であり、その部分を社会学が担うのではないかと考えています。
医療や福祉で対応しきれない部分を、社会学が担うのですね 今後は、どのように研究を展開されるのですか
フィールドワークの研究は時間がかかりますが、ようやく難病をテーマとした研究成果をまとめる時期に入りましたので、早く論文や本などの形に仕上げたいと考えています。社会学としてセルフヘルプグループの研究を確立するとともに、できるだけそのエッセンスを失わないように、一般向けにわかりやすい発信の仕方も追求して、患者団体のみなさんにも研究成果を投げ返したいと考えています。
実際に患者団体の活動にかかわりながら、病の語りやセルフヘルプグループの研究を展開している社会学の研究者は、おそらく私が初めてではないかと思います。若い世代にはセルフヘルプグループに関心を持つ研究者も見受けられるので、この分野の研究が広がってほしいと考えています。
富山はこじんまりとしていて大都市圏とは違うよさがあり、私のような研究者をみなさんが快く受け入れてくれたのもありがたいことでした。こうした交流を大切にしながら、人々の言葉と向き合う研究を進めていきたいと思います。
伊藤 智樹 氏 プロフィール
愛媛県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。現在、富山大学人文学部人文学科社会文化講座 准教授。厚生労働省の難病に関する研究班にも参加している。
■著書:『セルフヘルプグループの自己物語論』(ハーベスト社 2009年)共編著『《支援》の社会学』(青弓社 2008年)